【出会うだけで磨かれる”絵を見る1分” No.天才の描く西洋の春画?シーレの色欲と自己愛】
((full_name))、
こんにちは、国宝伝道師Tomokoです。
【天才】
この枕詞のつく画家、
何人思い付きますか?
誰が思い出されますか?
その中に日本人はいますか?
今日は、【ウィーンの若き天才】と謳われたエゴン・シーレの一枚です。
何を以って天才か?
美術界の天才とは誰か?
そこも面白いテーマですが、それはまた別の機会に。
現在、上野にある東京都美術館で展覧会を開催中の
【本物をお目にかかれる作品】です。
今日の一枚。
エゴン・シーレ
『頭を下げてひざまずく女』1915年/オーストリア(ウィーン)レオポルド美術館蔵
https://onlinecollection.leopoldmuseum.org/en/object/2512-kneeling-woman-with-bent-head/
↑↑↑コチラのURLリンクをクリックすると、本作品をご覧いただけます。
今回、シーレの展覧会が日本で開かれるのは、
30年ぶりだそうです。
30年前は皆様は何歳だったでしょうか?
その当時の展覧会を観た人は、私のメルマガ読者の方には少ないかもしれません。
私も当時10代でしたが、記憶にありません。
例え、【世界が認める天才】でも、
今回のように作品が来日する展覧会が開催されないと、
中々知る機会がないものです。
本物のグローバルな教養を身につけるのには、
このような稀な機会を見逃さない。
そこで差がつくと感じます。
頭で、知識で、
「エゴン・シーレは天才画家」
...と知っていても、
それはただの情報でしかありませんが、
観て感じたならば、
彼を自分なりに【わかっている】。
例え、”天才性”がわからなかったとしても、
リアルな彼を見ていれば、彼について感じ、思い、語ることができる。
そういうプロセスで、人生が面白く味わい深くなり、本物の教養が身に付くのだと考えます。
生きていく栄養、生きてる教養。
そんなイメージです。
こう書いていると、お腹の中でいい働きをする常在菌みたい。
体内にずっと宿していて、いい働きをしてるもの。それが教養だと。
だからと言って、私は「天才画家は知っておくべき!」とか思っているわけではありません。
ただ、天才と言われ、世界で評価された人、その人の作品は、
ただただ単純に
「見ておいて本当に良かった」
「やっぱりさすがだ」と心から思うモノ(作品)が多く、
それは、失敗しない、
時間とお金を掛けて損しない確率が高いとも言えます。
先に天才だと知っていたから、そう思ってしまうのでは?
そんな不信感を持つ方にこそ、数で攻めて欲しい。
沢山見るとわかってくる世界があります。
洗練された表現力、うまさ、色彩のあざやかさetc。
それに、プロのような見極める眼を持つことは難しいことですが、
美術が生まれた古代から、本物のプロの審美眼により大事にされてきた作品たちが、現在の私たちが目にすることができる作品なのですから、そこを信用しない手はないですね^^
今回の展覧会で、私はすっかりシーレの虜になりました。
もっと彼の人生を知りたくなって書籍を探し読んだのですが、
30年前の展覧会に触発されて執筆されたものが存在し、
熱く、当時の人の心を動かしたのだろうと想像できました。
美術批評家だって【主観】で書いている
シーレの作品には、実は裸体が描かれたものが多くあります。
それも、ポーズが過激で、淫乱な雰囲気さえ感じます。
今回の展覧会では、それでもまだマシなものが来日している、、そんな印象を持ちました。
私が彼に惹かれたのは何だったのか、
”直感”と言えば簡単ですが、
絵も好きでしたが、彼自身に興味が湧きました。
上目遣いが特徴のこの男性は、
本当はどんな人物なのだろうと興味が湧きました。
”本当は.."と書きましたが、
メディアで表現された目を引くキャッチコピーや美術批評は、
実はかなり【主観】で書かれています。
だから、例えその道で権威ある人が言ったり書かれていたとしても、そのまま信じるのではなく、どれが客観で、どこに主観が書かれているかを判別して読まないと、他人の言うことをそのまま鵜呑みにしているだけになってしまいます。
それでは自分の感性や審美眼は磨かれません。
自分なりに、作品から、生い立ちから、
”この人はこういう人だ”
”この作品はこんな気持ちで描かれたのだろう”
”こんなことが表現されている”.....
と【感じる】には、他人の評価を鵜呑みにせずに、多角的な視点で知ると新たに見えてくるものがあります。
展覧会に行ったことで、
今までのイメージとは違うシーレに虜になってしまった私は、
展覧会場と書店で彼について書かれた最新の本を数冊買い、
それでは飽き足らず、図書館に行って古い本を読み漁りました(30年前に書かれたもの等)。
結局、私が感じたのは、
彼はこの上なく自分を愛し、
クリムトに評価されて以降は自分の才能に確信を持ち、
自分の才能にも惚れ込み、
色欲に支配されそうな自分と戦っていたのではないか。
描いて描いて、そんな自分をキャンパスにぶつけ発散していたのではないか。
そんな風にとらえました。
【欲】に駆られるのはものすごく辛い。
彼の煩悩を見た気持ちになりました。
その苦しさは、【若さ】が故の煩悩のようにも思えました。
一方で、そんな自分の性欲の強さを自覚するが故に、これでもかと鑑賞者を試すかのような、
女性の意味深な体勢。そういういやらしさも感じました。
ポルノであれば、単純に性欲を刺激するのでしょうが、彼が刺激してくるのは、もっと深く、醜い、強欲のようなものに思えます。
今回紹介した絵、
今回来日した絵、
それ以外も私は目にし、本を読んでしまったので、正直展覧会を見た直後とはどんどん違う印象や解釈をしています。
展覧会直後には、上に書いたような、彼が鑑賞者に突きつけてくる「おまえもだろ!」と挑発するような感覚は持ち合わせていませんでした。
どちらかと言えば、彼がもつ”詩人的な感性”に惹かれ、天才と自覚する彼自身が表現者としての使命感を持って生み出した作品。そんな風にやや美化した感じで見ていました。
展覧会以外の他の作品を見て、彼の言葉(手紙やメモなどの資料等)や写真などから、自分の中で彼の人物像ができ始めれば、当然、作品の見え方も変わります。生身の人間と同じですね。
彼のことは、展覧会後、しばらく頭から離れませんでしたので、書き出すと止まりません。
長くなっているので、
普通ならここで書き終えるところですが、
少し美術史的な話もお付き合いください。
シーレに影響を与えた日本
シーレの生きた20世紀初頭は、
フランス、そしてウィーンでも日本の浮世絵や工芸品が、
アーティスト達に多大な影響を与えていました。
シーレが描いた、
かなり独特なポージングを取っている裸からは
容易に日本の春画を連想させます。
(来日しなかった絵の方がそれっぽいものが多いかもしれません)
股をこれでもかと広げる姿。
複雑な体勢。
それまでの西洋にはないものです。
ただ、春画で描かれている日本人の身体は、
まるで壊れた人形のように、
手足の角度がおかしかったり、
実際にはこんな風にはならないという不自然さで、
デッサンという視点では、写実的ではありません。
また、春画には【欲】に対する苦悩は微塵もなく、
エロさも何か健康的ですらある(私の印象です)。
春画は嫁入りの際の教本であったとか、
魔除け・火除けであったとも言われているので、
そんな【使用目的】のある絵と、シーレの絵が違うのは当然なんですが、
ただ、
【何をどう描くか?】という美術史上の命題の上に、
シーレが天才になった。
シーレの絵には確かに日本の影響が見て取れるもので、
日本の美術を目にすることがなければ、
このシーレの表現は無かった。
シーレに限らず、
世界有数の画家たちの多くが、
日本の影響を受けている。
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もしかして、心からそう感じたのは、はじめてかもしれません。
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