花咲あけみ
花咲あけみ

まなざし~愛の実存~

2021/11/23配信


皆様 こんにちは


存在は愛のエネルギーだ!


半径1.8mの愛と自由で


 


自分が変わる


まわりが変わる


世界が変わる


「人間関係の生きづらさ脱出」コーチ 


花咲あけみです



前回は


 


わたしの人生の書


『夜と霧』ヴィクトール・フランクル


(みすず書房)


 


をご紹介しました。


 


 


この本に出会った


最初の感動は


 


荘厳な夕陽に


「世界は


 どうしてこんなに美しいのか?」


と被収容者が


つぶやくシーンでした。


 


 


前回は


 


幸福とは日常を愛することだ


と気づかせてくれた場面


もご紹介しました。


 


バックナンバーを読む ▶


 


 


 


今日は


高校生の時、感動し


今も、心に刺さりつづけている場面


です。


 


 


 


愛する人のまなざし


 


死の中を生きるような


極限状況のユダヤ人収容所のから


フランクルが生きのびることができたのは、


 


妻の愛が


彼を照らしていた


からだった。


 


 


しかし


この時すでに


妻はガス室に送られ


殺されていた。


 




 わたしはときおり空を仰いだ。星の輝きが薄れ、分厚い黒雲(くろくも)の向こうに朝焼けが始まっていた。今この瞬間、わたしの心はある人の面影(おもかげ)に占められていた。精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。わたしは妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、微笑(ほほえ)むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。妻がここにいようがいまいがその微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。
(p.60-61)

 そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得えとくした。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
(p.61)

 収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。わたしは生まれてはじめて、たちどころに理解した。天使は永久(とわ)の栄光をかぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である、という言葉の意味を……。(『夜と霧』p.61)

 そしてわたしは知り、学んだのだ。愛は生身(なまみ)の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)「本質(ゾーザイン)」に深く関わっている、ということを。愛する妻の「現存(ダーザイン)」、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。
(p.62-63)

 愛する妻がまだ生きているのか、あるいはもう生きてはいないのか、まるでわからなかった。知るすべがなかった(収容生活をとおして、手紙は書くことも受け取ることもできなかった)。だが、そんなことはこの瞬間、なぜかどうでもよかった。愛する妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもまったくどうでもいい。それはいっこうに、わたしの愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった。もしもあのとき、妻はとっくに死んでいると知っていたとしても、かまわず心のなかでひたすら愛する妻を見つめていただろう。心のなかで会話することに、同じように熱心だったろうし、それにより同じように満たされたことだろう。あの瞬間、わたしは真実を知ったのだ。
「われを汝(なんぢ)の心におきて印(おしで)のごとくせよ……其(そ)は愛は強くして死のごとくなればなり」(「雅歌」第八章第六節)
(p.63)



 


愛という


 


目に見えず


手でふれられない


実体のないもの


 


の、真のはたらきが


たしかにあった。


 


すでに


その人がいなくても


 


その人のまなざしは


確かに届いている。


 


 


 


 


愛の実存


 


10代後半で


感動したこの文章を


 


少しずつ少しずつ


生きてきた


ように思う。


 


 



60代後半に入って


 


亡くなった父の


まなざしが


心に感じられるようになって


 


愛の実存


 


つまり


 


愛の働きが


確かに存在する


ということが


 


やっと


実感として


しみこんでくるようになった。


 


 


今日はこの辺で!


 


アスタマニアーナ


 



  

 


 



 



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