丸岡謙仁

ボランティアは偽善!?自分の人生を満足して生きるための視点

2021/6/ 7配信


皆様

こんばんは。

こころにまるをの

丸岡です。


31314_リザストプロフィール3


 


 


2か月くらい前に

投資信託始めてみたんですが、

はじめてすぐにマイナスになり、

やっとここ最近、

プラスに転じてきて、

気分のいい丸岡です。





たかだか数字に

気分を振り回されちゃ

アカンですな笑





さて、今日は、

「偽善」について

話をしていこうかな。






楽に生きる過程で生まれる迷い

そもそも何でこのテーマで

話をしようと思ったかって、

現在開催中のマスターコース4期で

「ボランティア」が話題に上がり、

「偽善に感じるところがある」

みたいなコメントがあって、

偽善とかって面白い考え方だな

って思ったので、

メルマガで取り上げてみました。





マスターコースで

自分と向き合う中で、

今までこれが正しいと

思ってきたことが崩れ、

自分っていったい何なんだろう

って迷い、

どういう方向性で

生きていったらいいか

その軸を失う。

そんな時期ってあるんだよね。






「山登りで山頂がゴールだ」

ってわかってて、

山頂に近づくことが正解で、

足を止めることや下山することが

不正解って教えられて、

その軸に従っていたら、

迷うことはない。





でも、そこに自由はなく、

苦しくても

山を登らなければならない。




山を登れない自己否定と、

自分より進んでいる人との比較、

嫉妬、自分責め、焦り、不安

なんかに取り込まれる。





そんな中、

「山、登らなくていいんだぜ」

「自由にしていいんだぜ」

が、心のことを学ぶこと。





じゃあ、

山に登らなくていいなら、

「どうしたらいいのか」

→何もしなくていいし、

 何をしてもいい





山に登ることが正解じゃないなら、

「何が正解なのか」

→正解や正しさなんてない





山に登らなくていいなら、

「今まで頑張ってきたのは

 何のためのか」

→なんのためなんだろうね笑






そういう迷いの期間って

いうのがあって、

色々グルグルする中で、

自分なりの答えを出していく。





こう、

昆虫がさなぎになって、

一回体が液状になりながら、

ぐちゃぐちゃな状態を経て、

蝶になって羽ばたく感じ!?

そんな感じよね。






 


ボランティアは偽善!?

で、ボランティアが偽善!?

っていうのも

そんな感じから来てると

思うんだよね。





今までは、

「人のため=正しい」

って思ってきて、

「ボランティア=正しい」

「ボランティア=善い行い」

って。




でも、

「正しさはない」ってなった瞬間に

ボランティアを見たら、

どう感じるのか。






「ん~~~、偽善!?」

って感じなんだろうと

思うんだよね。

違うか!?笑

どうだろ?笑





俺はいまいち、

「偽善」って言葉、

そのものの意味が

分からないんだけど、





google先生によると、

「本心からでなく、

 うわべをつくろってする善行」

らしい。





つまり、

本当はやりたくないけど、

よしとされるからやっておくか

ってことだよね。





そういう意味だと、

「ボランティア=偽善」

というより、

ボランティアをその人が

どういう気持ちでやってるか

ってことなんだなと思った。





ボランティアを

楽しいって思ってたり、

相手が喜んでよかったって

気持ちを感じたいってことなら、

偽善じゃなくて、

楽しみだし、





ボランティアを

本当はしたくないけど、

世の中的に評価されるからとか、

ボランティアをしている自分、

めっちゃ高尚で人として優れてる

って感じるためにやってるなら、

偽善になるんだろうね。







偽善かどうかはどっちでもいい

ただ、俺思うに、

偽善かどうかって

どっちでもいいかな

って思うんだよね。






それが偽善かどうかは、

他人が勝手にそれを見て、

判断すること。





評価を下すのは、

いつも「他人」なんだよね。





その行為を

「偽善」と言うのか、

「素晴らしい行い」と言うのかは

他人が決めることだし、




他人がそれを何と呼ぶか、

そんなことは

どうでもいいんだよね。







 


偽善かより自己満足できるか

大事なことは、

「自分がどう感じるか」





それをして、

どんな気持ちになるのか。

いい意味で、

自己満足できるかどうか。





自分が満足して、

楽しい気持ちになるなら、

やったらよくて、


そうならないんなら、

やらなかったらいい。

ただそれだけだよね。





周りが、

偽善と言おうが、

理想論と言おうが、

悪行と言おうが、

金の亡者と言おうが、

世界を救う行為だと言おうが、

そんなことはどうでもいい。




自分がどう感じるかが

何より大事なんだ。



それによって、

自分が満足できてるか、

ってことだよね。





「自己満足」って言うと、

世の中では、

ネガティブな表現になるけど、

俺は「自己満足」に

あんまりネガティブな

意味付けをしてなくて、





自分が満足できるかどうか、

いかに「自己満足」していけるか

だと思うんだよね。





生きることも、

仕事も、

家庭も家事も子育ても、

ボランティアも。




全て、

「自己満足」

それでいいよね。





それを世間的に見たら

何というか、

どう表現されるのかなんて

どうでもよくて、

自己満足できるかどうか。






自分の人生に

自己満足できたら

最高じゃないか。




自分の仕事に

自己満足出来たら、

家庭や子育て、

ボランティアに

自己満足できたら最高じゃんね。




結果的に

何が良かったのか

何が良くなかったのか、

なんてわからない。





塞翁が馬で、

馬から落ちたことが

幸せなのか、不幸なのか。

そのおかげで兵役から逃れて

命が助かったことが、

幸せなのか、不幸なのか。

そんなことは分からない。






 


自己満足だけできてたらいい

でも、そんな中で、

自己満足だけ

出来ていたら、

そんな人生最高だと思うんだよね。






だから、

自己満足していこう。





死ぬその時に、

やり切ったなぁって。

自分の人生に悔いはない

って、そう思って

死んだらいいと思うんだ。




そのための自己満足、

大いに、自己満足して行こう。





それを見た誰かが

その人の勝手な見方で名前を付ける。

勝手に名前を付けて

もらったらいい。




そこにどんな名前を

付けられようが、

そうやって自己満足して生きたなら、

自分の人生の主役は自分で、

名前を付けた人は脇役だから。





付けられる名前を気にして、

やりたいこともやらず、

やりたくないことをやっていたら、

自分の人生なのに

自分が脇役になっちゃうよね。





自分の人生、

主役は必ず自分でいよう。


大いに自己満足だけ

していこう!!!





最後までお読みいただき

ありがとうございました。





こころにまるを

丸岡


 


 


 


 


 


 


 


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