高橋 眞理子
高橋 眞理子

【プリズム通信】コールセンターで見つけた「神」の話

2020/6/ 3配信


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皆様


お一人おひとりが、内なる個性にめざめ、関係性を築く喜びに出会うセラピーを提供します


セラピストの高橋 眞理子です。


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私が普段、コールセンターで働いていることは
すでに何度か書いてきました。
このお仕事について、4年半。

「瞬時の対応力はある方だ」
「初対面(電話だけど)だろうが、物おじしない」
「そここそ、相手の話を聞いて返す力はある」という
自分の持っている「圧」を頼りに、はじめた仕事です。

どこかで「この私にできないわけがない」
「経験さえ積めば、誰より適職になるはずだ」と
過信していたと思うのです。

そして、単なるご案内のお仕事じゃなくて
これはこの世界の片隅でささくれた誰かを癒し
私なりの社会貢献に、いずれはなるのだ!
と、かなり薄っぺらで大きな風呂敷を広げてました。

私はこうして、心の学びを重ねているのだから、
時々入ってくる「ねちねちご常連のお客様」も
ワタシが対応すれば、きっと矛を収めて
おかしなクレーマーさんたちが、
退散する日が来ちゃったら、私の陰徳?


ああ、そんなスーパーオペレーターに
オレはなる!

 ↑↑↑↑↑

どうか呆れずに、今日の記事にお進みください。

まずは、
スーパーヒーローの野望全開な
ロウアーなつぶやきから、どうぞ


 


 


【コールセンターで見つけた、神の話】


 


 


私は、なんとかして
「ワタシがご案内したことで、納得していただきたい」のだ。
例え苛立って掛けてこられたとしても、
「なるほど、それならしかたいな」とご納得いただき
何なら、あなたのおかげで気が済んだ、とでも。

ところが現実はルールや運用マニュアルを盾として
「ったく~、つかえねえな!」といわれたり
理不尽なお申し出や、思い込みで展開される話に、
つい
私のロウアーな本性であるところの
「あなたは間違っている、私の話を聞きなさい」
の考えがふつふつ湧いてきたりして
当然そこには、同じ土俵のガチ相撲が起きるわけで。

 ↑↑↑↑↑

いやいやいや、待て待て待て。
お客様は敵ではないのだから。

(とりあえず)
「もうしわけございませんでした」のマスクへ。


私はしばしばこのような感情的反応を起こしては
話しを終えるや、一転「もう、やだ~!!」と、
隣の席の誰かに、同調を求めたりする。

そんな事が、1日70件ほどの対応の中に
2,3件紛れ込んだりすると、すっかり意気消沈。
もう完璧に調和的でスムーズなオペレーションできる私がいいのに!
調子よく過ごしてきたのに、このお客様の出現で!

「気にすることないよ~、ヘンな人はいるから~」と
慰められて、とげとげを納めて終わる中でも、
この不快感を繰り返さないですごすには?と
自分の反応の出所を見ていくことにしました。

キャラクトロジー心理学に触れたことのある、
読者のあなたはもう、お気づきですね。

これは、私の
「望んだとおりの調和が創られない」ことへの怒り。
完璧でありたい、というか「完璧の中にいたい」
いかにもいかにも、リジットなディフェンスです。

リジットな反応をした私が悪かったわ~
じゃあ、もうこんな反応をしません!
と、ジャッジメントに入りそうになりますが
そこも違いますね。

お客様がああでこうで、
それは私の幼い頃の傷をあれこれ刺激したからで、
と、被害者意識のイメージに入るのも、はい、違います。


「お客様に、オペレーターとしてできることは何かと臨んだものの、こちらが対応できない要求の前に立ち往生した私」「相手のニーズに、NOということで起きることを怖がる私」

よほど、相手の要求をかなえてあげたいんだなあ、と思うわけです。
それができない自分に困っている、それを感じたくない。
ここでは、自分が決して万能ではない。とへこむ。

ちょっと待って。
それではまるで、
私は万能で、相手は無力で非力で何もできない
という世界を見たいということ??
何なら私は全権もって、与えてあげたい、
しかしそれができない、という痛みを感じている??

それはちょっとお門違いだわ、と大人の私が思います。

私は「困った、助けてくれ」と言っているお客様を
どこかで下に見ている。

何とかしてくれと言っても、どうにもならないのよ
そんなルールもわからないのね、気の毒に。

むむむ。私の中に潜む毒は、このあたりに隠れている。

皆がルールを知り、約束を守り、枠を超えなければ、確かに一切の問題は起きてこない、はずなのです。
しかし、その枠は誰のもの?誰が決めたの?どこかの誰かが勝手に決めたものに、なぜ従わなきゃならないの?
と、噛みついてくるお客様が私のデイフェンスを刺激するし

粛々として、そのルールを飲み込んでくださるお客様ばかりであれば、私は何の問題も感じないで、「ルールこそ善」と振る舞うでしょう。

まるで、ルール=構造。
お客様のニーズの裏には感情があり、流れたがっているのを
せき止める、あるいは構造の狙い通りに流したい。

構造と感情がせめぎ合っている場所では
確かに、破壊的なエネルギーをためることになる。

この場合構造は、自らを破壊しないためには
どこかに「隙」があって、ちょうどいい。
チカラを抜いて、負けてもいいし引いてもいい。
そうか、構造は常に「未完」なのだった。

未完であることは、落ち着かない気持ちにさせる。
それゆえいっそう、構造側は「強くあろうとする」

フムフム、だんだんわかってきました。

これを私の中の、構造と構造のないレベルが
外側に作りだして見せるホログラムだ、としましょう。

未完の構造は、未完であることを痛みとして感じ
痛みを感じたくないから「完璧と思いたい」
それゆえ、衝突や葛藤を生み続ける。

未完であること、完璧でないからこそ
構造は拡大し細密化した枠で抑え込もうとする。
(例えば校則は、くだらないくらい細かくなっていく)
ならば、未完であり完璧でないことを認めたらどうなる?

なろうとしないで、未完の落ち着かなさを「いま」と思う。


すると、今のその状態こそ「望み通り」だったと気づく。


なんと。


私はこれを、このせめぎあいの落ち着かなさを、
感じるべくしてコールセンターに飛び込んだのか?
「マニュアルを完璧に仕込んだ私が
華麗にオペレーションして、クレーマーを一掃!!」
なんて勧善懲悪ドラマを体験しに来たんじゃなかったのだ!


は~、やれやれ。


へこんでもいいし、
怒られて、むっとしてもいいし、
してやったりと、鼻をふふんと伸ばしてもいい。
お困りごとが消えてニーズがかなう喜びに触れてもいい。


その全部、構造と感情のダンスみたいだ。
その関係性を借りてどんな感情を味わったの?
その時私に起きた感情のバリエーション全て。
体験したかったのは、むしろそれだったのでは??







キャラクトロジー【リジットタイプ】の使命を読むと、

「もっともらしくではなく、
本当の自分自身であること、真の自己に気付くこと」

とあります。
そう、「もっともらしい、いい人を目指す」ところが
真逆の旅立ちだったわけですね。



そんな事を、こころの中で整理し始めたころ、
オペレーター仲間の、青年Yくんが
私のことを「かみ!」と呼び始めました。

えへへ、悪い気はしない。
でも、こうして振り返って整理してみると、

別に、私がお客様に神対応をしているわけでもないし
完璧さをほめてくれていたわけでもなく、
「へこむことも、腹を立てることも、普通にありつつ
捕まりもせず、きりかえながら、へらっと進む」
その姿こそ、十分に神なんだなあ、と思いました。


それなら、私も神、あなたも神。
誰の中の神もまた、無限にそのままで、神です。




 


 



  

 


 



 



 


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